■3歳の頃飛騨高山へ渡り中学2年で失明。岐阜の盲学校へ転校後手術を受け、資料回復に努めるかたわら、マッサージの勉強をする。
■昭和36年2月に再び失明。その頃から音楽の勉強を始め「演歌師」としての新しい人生を歩み始める。学生時代からのボランティア活動は人生を通じて彼のライフワークであり、「演歌師」として歌手デビュー後もますます情熱がそそがれ全国の慰問活動を続けている。
■「人生2人3脚」、「いのちの灯」、のチャリティーレコード収益金全額を社会福祉に寄与、昭和62年1月には「日本視覚障害者音楽協会」の発足に副会長として参加する。
■また、同年7月16日からの「日系人の為の援協日伯有効病院建設チャリティーコンサート・ブラジル公演」を実施し、コンサート収益金とレコード収益金を全て寄付する。
■平成2年デビュー10周年記念コンサート収益金から全国の社会福祉協議会へ車椅子500台寄付。
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